自信と慢心。そして確信。2007/06/30

お疲れ様です。ここ最近の東京は夜でもかなり蒸し暑く、ボクのまわりでも「いや〜、こりぁ夏バテだなっ」っと言ってる人もいたり。そんなジブンも若干バテ気味ですねー、実は。(^^; 皆さんも体調管理にはご用心を♪

さてさて。
昨日はちっとジブン自身、考えさせられる事っていうか反省する出来事が一つあった。その事を考えてたら夜もすっかり終わり、朝の4時ぐらいになってしまった、、、まぁモノゴト考えるのも仕事のウチって言えば、そうかもしんないから決してしんどくはないんだけどね。

「伝えたい事を、ジブンの意のままに伝えたい」と思うのは誰でも思うコトかもしれない。でも実生活のさまざまな場面の中で、時にはウマくできないのも人間かもしれない。人は生きていく上で、必ずどの場面でもコミュニケーションを取らないといけない生き物だ。社会生活にあるシーン:家庭、職場、学校、友人、恋人、その他…挙げたらキリがない。

昨日、それら数々の場面の1シーンで、一つウマくいかなかった事があった。そのボクの発言により、もしかしたら誰かをしょんぼりさせてしまったのかもしれない。

そこでボクは帰ってきてからベッドの中でこういう事を考えていた。「自信と慢心。そして確信。」…この違ってなんだろうって。

「自信」と「慢心」の違い。これは客観的にみればジブン自身で区別がつくかもしれないと思うかもしれないが、実が気づかないのが人間だったりもする。そう、だから誰かの優しさから発する指摘や注意や、時には叱咤さえも必要なんだろうなぁって。そして、それを謙虚に考え、学べたらそれは「自信」へと繋がる。ボクはそう考える。「慢心」はいつかジブン自身を滅ぼす。

じゃ人は「自信」だけで果たして生きていけるのか、、、一瞬そう思った。でも、世の中にはいろんな人間がいる。っというかジブンと同じ人間はいない。

人は「自信」と「慢心」の識別だけで本当に、ジブンのココロの奥の伝えようとしてる事を本当に100%ウマく伝える事ができるのだろうか…ボクはそれだけではないと思った。伝えたい事がホントに相手の心に届くのは、三番目の「確信」しかないと。

では「自信」と「確信」の違いとは、また「確信」はどうやって作れるのか。それはジンセーの中でさまざまな経験をして培われていく事も間違いないが、その経験ですらも培われていく過程で、誰かの心からの優しさのコトバがなかったら、時として、「慢心」に陥ってしまうコトもあるだろう。

だから、人が生きていく上で「確信」をつかむのは経験だけではない。もっとその奥にある、深い柱…つまり生きる哲学がないと「ホントの自信」…「確信」は築くことは出来ないじゃないかなぁっと。「確信」で誰かに伝えれば、気難しいコトバや、理屈っぽいコトバなんてモンも必要じゃない。

いま時点のショボい境涯のボクでもそう思う。深い柱を持ってるいるジンセーってホントシアワセな事なんだぁって思う。そんな結論に達して、結局は明日もジブンらしく生きていくと心に感じた一日だった。

こういった思考や経験から学んだコトを、シンプルなコトバで、詩におこして、メロディにのせ、歌を歌う。これがボクの仕事なんだぁって。「ジブン革命」というオンガクの旅路は長いねー。何となく哲学チックな文章になってしまったが(笑)。

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