「希望」の体現者たち。2012/03/13

今回、ノートPCを持参して行かなかったので、更新が戻ってきてからになり遅れました。本日深夜に4日間の旅を終えて戻ってきました。

率直な感想は「行ってよかった」のひとことに尽きる。もちろんTVショー等で伝わらない事を体感してきたというのもあるんだけど、それよりも沢山の友と会え、いろんな話が出来た事が何より一番です。

みんな今回の震災でそれぞれの悩みを抱えた。それは人それぞれであり、同じ被災した中でも千差万別だ。だけどボクの周りの友はそれら個々に抱える困難を前向きに捉え、その困難から逃げる事なく、真っ向から明るく立ち向かっている人ばかりだ。

家が半壊指定を受け、ローンだけが何十年と残った後輩。震災当日、家族と連絡が取れず仙台から石巻まであの距離とガレキの山を歩いて帰った後輩の話。震災により自宅と雇用がなくなり、地元を離れる事を余儀なくされ、今は被災地支援雇用でふるさとを離れた関東で働いている親友。

2012.3.11
AM11:00 若林区のとある会場の法要に列席。亡くなった方のご焼香をさせていただいた。

PM2:46 深沼海水浴場にて亡くなった方へ1分間の黙祷捧げました。

その夜、それぞれの環境におかれた友が仙台で一同に会して、話をする事ができた。そして沢山の話を聞き、最後は笑ってまたお互いの戦いの場へ戻った。

ある尊敬する大詩人の言葉に「悩みがないのが幸福ではなく、悩みに負けないのが幸福である」とある。彼らはまさにその体現者たちであり、ボクの中の英雄だ。

今回、この四日間で宮城県は県南の山元町、亘理町、名取閖上、荒浜、若林区・宮城野区沿岸地域、県北は石巻・女川・雄勝方面まで。福島は飯館村と南相馬市、相馬市をこの目で見て来た。東京からの移動距離も含めると1500km以上、親友が車を走らせてくれた。沢山記録もとってきた。

そしてこの復興に向かっての戦いはまだまだ始まったばかりです。1、2年なんかでは復興は出来ません。だからずっと自分なりに関わっていくのです。

最後に宮城県と岩手県の2県のガレキを受け入れるべきだと、ボクは心の底から思っています。それがボクらが今デキルコトじゃないでしょうか。

また思う事があったら綴ります。

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